世間でよく言われる【引き寄せ】について
私なりに解釈してみたことを書きました。
皆さんがますます幸せになりますように。
1「がんばる」と「いい気分」
「願いごとが叶った時のことを考えて、ワクワクした気分になる。」このワクワクした気分、いい気分は「勘が働きやすい」状態といえます。
勘が冴えて、素早く正しく働くので、自分にとって都合がいいことに気付きやすいし、気付いた時にどう行動すればいいかも正しく判断できる。本人は多分、何となくしているだけだろうと思いますが、勘が正しく働けば、それが全て正しい選択になるわけです。
私の場合、友達が自転車に乗れるようになったのを見て、私も!と必死で練習した時には、転ぶのが怖くて全く乗れるようになりませんでした。2年くらい経って、ふと親の自転車にまたがってみたらつま先が何とか地面につくくらいだったので、もしかして乗れるかも、とその自転車を借りて練習し、ほんの数日で乗れるようになりました。その時は必死に頑張ったという記憶は全くありません。すごく楽しかった。
「楽しいから頑張る」「できるようになりたいから頑張る」つまり、「そうした方が自分がいい気分になるから頑張る」ということなのかなと思いました。頑張る時に、「これを頑張ることは自分にとっていい気分かどうか」をしっかり見極めるのが大事なんだと思います。
無理をして頑張っているといい気分でないので勘が鈍り、叶うはずのものが叶わなくなるのかもしれません。例えば、あと少しだけ思い切ってペダルを強く踏んだらすうっと走るのに、無理をしていると勘が鈍ってそれに気付かず、ペダルをそ~っと踏んでバランスを崩し倒れてしまったり、「もう今日は疲れたからやめておこう」となってしまったりする。もしいい気分で頑張っていれば勘が働くので「ここでペダルを強く踏んだらどうかな?お、できた~!すげ~!」となるのだと思います。
2「やる気」と「いい気分」
脳科学の研究が進んで、「やる気スイッチは行動にある」つまり「行動を起こすことで脳はやる気が起きる」ということが分かったそうです。妙なスイッチですが、そのものをちょっとでも始めればいいんだから一番確実なスイッチではありますね。
でも、したくないことをしなければならない時ってありますし、そういう時はそれに関するほんのちょっとの行動すらしたくないし、どうかすると別のことを始めて現実逃避なんてこともよくありますよね。試験勉強をしなきゃならないのに突如部屋の掃除や模様替えをしたくなったりすること、私も良くありました。
「しなきゃいけない」と思う時って、すごく憂鬱な気分ですよね。そんな気分でいると、私達の勘はうまく働かないわけですから、いい気分でそのことを考えられるように自分の思考を操作してみましょう。
いやいやするのではなく、いい気分でそれをしたくなるように、ワクワクするように考えてみる、ということです。
簡単な作業なら、「しなきゃいけない」ではなく「したい」にかえて何回か言ってみるだけで随分と気分が変わります。しなきゃいけないことの中から、簡単にできそうなことで楽しそうなことをちょびっとだけみつけて「それをしたい」と考えるようにします。
私の場合は夕食後の食器洗いが面倒なんですが、「食器洗わないと汚い食器がたまっちゃう」だと頭の中が汚い食器だらけになってげんなりしてしまうので、「お箸だけでもピカピカにして引き出しに片づけたいな」とすることで、ピカピカのお箸だけを引き出しに片づけている自分をイメージすることができます。この際お皿は放っておいていいんです。そこだけ考えてると、ワクワクしてできそうになってきます。
いい気分になってきたら、それだけやってみます。これでやる気スイッチを押したことになります。たいていの場合、お皿洗いは流れ作業的にやってるので、お箸だけ洗って引き出しには行かず、「ついでにこれも洗っておくかな」と、2つ3つ余分に洗って片づけます。自分がはじめに考えていたよりも余計に片づけることができ、よりいい気分になるみたいです。
どんなに大変な仕事でも、いやな作業でも、「このくらいなら」というほんのちょっとだけすることを考えて、いい気分になるように工夫してみましょう。「いやだなあ、大変だなあ」と思う状態のまま手をつけるのではなく「これくらいならすぐ終わる」と思えるくらい、お餅のように隅っこをほんのちょびっとだけちぎって眺めてみて下さい。
そのちょびっとが終わったらやめていいんです。そう考えると少し楽になりませんか。
あ、気をつけておいて欲しいのは、これも脳科学の研究をしてる人がどこかで言っていましたが、やる気になって頑張るとしても、始めに計画した時間になったらちゃんとやめた方がいいそうです。きりがいいところまで続けてしまうと、再開にものすごくエネルギーが必要になるらしいです。「もう少し」と思うくらいの、きりがよくないところでやめると、休憩を取った後や翌日にその続きに取りかかりやすいんだそうです。終わるのもいい気分のうちに、というところでしょうか。

次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(5)私の体験 ~これも多分「引き寄せ」~
「願いごとが叶った時のことを考えて、ワクワクした気分になる。」このワクワクした気分、いい気分は「勘が働きやすい」状態といえます。
勘が冴えて、素早く正しく働くので、自分にとって都合がいいことに気付きやすいし、気付いた時にどう行動すればいいかも正しく判断できる。本人は多分、何となくしているだけだろうと思いますが、勘が正しく働けば、それが全て正しい選択になるわけです。
私の場合、友達が自転車に乗れるようになったのを見て、私も!と必死で練習した時には、転ぶのが怖くて全く乗れるようになりませんでした。2年くらい経って、ふと親の自転車にまたがってみたらつま先が何とか地面につくくらいだったので、もしかして乗れるかも、とその自転車を借りて練習し、ほんの数日で乗れるようになりました。その時は必死に頑張ったという記憶は全くありません。すごく楽しかった。
「楽しいから頑張る」「できるようになりたいから頑張る」つまり、「そうした方が自分がいい気分になるから頑張る」ということなのかなと思いました。頑張る時に、「これを頑張ることは自分にとっていい気分かどうか」をしっかり見極めるのが大事なんだと思います。
無理をして頑張っているといい気分でないので勘が鈍り、叶うはずのものが叶わなくなるのかもしれません。例えば、あと少しだけ思い切ってペダルを強く踏んだらすうっと走るのに、無理をしていると勘が鈍ってそれに気付かず、ペダルをそ~っと踏んでバランスを崩し倒れてしまったり、「もう今日は疲れたからやめておこう」となってしまったりする。もしいい気分で頑張っていれば勘が働くので「ここでペダルを強く踏んだらどうかな?お、できた~!すげ~!」となるのだと思います。
2「やる気」と「いい気分」
脳科学の研究が進んで、「やる気スイッチは行動にある」つまり「行動を起こすことで脳はやる気が起きる」ということが分かったそうです。妙なスイッチですが、そのものをちょっとでも始めればいいんだから一番確実なスイッチではありますね。
でも、したくないことをしなければならない時ってありますし、そういう時はそれに関するほんのちょっとの行動すらしたくないし、どうかすると別のことを始めて現実逃避なんてこともよくありますよね。試験勉強をしなきゃならないのに突如部屋の掃除や模様替えをしたくなったりすること、私も良くありました。
「しなきゃいけない」と思う時って、すごく憂鬱な気分ですよね。そんな気分でいると、私達の勘はうまく働かないわけですから、いい気分でそのことを考えられるように自分の思考を操作してみましょう。
いやいやするのではなく、いい気分でそれをしたくなるように、ワクワクするように考えてみる、ということです。
簡単な作業なら、「しなきゃいけない」ではなく「したい」にかえて何回か言ってみるだけで随分と気分が変わります。しなきゃいけないことの中から、簡単にできそうなことで楽しそうなことをちょびっとだけみつけて「それをしたい」と考えるようにします。
私の場合は夕食後の食器洗いが面倒なんですが、「食器洗わないと汚い食器がたまっちゃう」だと頭の中が汚い食器だらけになってげんなりしてしまうので、「お箸だけでもピカピカにして引き出しに片づけたいな」とすることで、ピカピカのお箸だけを引き出しに片づけている自分をイメージすることができます。この際お皿は放っておいていいんです。そこだけ考えてると、ワクワクしてできそうになってきます。
いい気分になってきたら、それだけやってみます。これでやる気スイッチを押したことになります。たいていの場合、お皿洗いは流れ作業的にやってるので、お箸だけ洗って引き出しには行かず、「ついでにこれも洗っておくかな」と、2つ3つ余分に洗って片づけます。自分がはじめに考えていたよりも余計に片づけることができ、よりいい気分になるみたいです。
どんなに大変な仕事でも、いやな作業でも、「このくらいなら」というほんのちょっとだけすることを考えて、いい気分になるように工夫してみましょう。「いやだなあ、大変だなあ」と思う状態のまま手をつけるのではなく「これくらいならすぐ終わる」と思えるくらい、お餅のように隅っこをほんのちょびっとだけちぎって眺めてみて下さい。
そのちょびっとが終わったらやめていいんです。そう考えると少し楽になりませんか。
あ、気をつけておいて欲しいのは、これも脳科学の研究をしてる人がどこかで言っていましたが、やる気になって頑張るとしても、始めに計画した時間になったらちゃんとやめた方がいいそうです。きりがいいところまで続けてしまうと、再開にものすごくエネルギーが必要になるらしいです。「もう少し」と思うくらいの、きりがよくないところでやめると、休憩を取った後や翌日にその続きに取りかかりやすいんだそうです。終わるのもいい気分のうちに、というところでしょうか。
次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(5)私の体験 ~これも多分「引き寄せ」~
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以前お話しした「既に叶った状態に自分を置く」という言葉の、もう1つの意味を考えてみたいと思います。これは、「願いが叶う自分を自覚する」ということを差していると思います。例を挙げてみます。
「昔話『ウサギとカメ』では、どう頑張ってもウサギはカメに追いつけない」という妙な説明のお話があります。聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
ウサギは、寝ている間にカメに追い越され、慌てて追いかけます。ウサギがカメのいたところまで辿り着くと、カメは少し先を行っています。ウサギがそこに着いた時には、カメはやっぱりほんの少し先を行っている。
カメは一瞬たりとも止まらず一生懸命歩いているので、ウサギがカメの所に行くとカメは必ずその少し先に動いていて、ウサギは永遠にカメに追いつけませんでした。おしまい。
…おかしいですよね?
グラフにするとすぐ分かるんだけど、これは「ウサギがカメに追いつく時刻」までのお話です。
ウサギはその時刻を過ぎれば、確実にカメを追い越す。「ウサギはカメより速いから追い越すはずだ」と、追い越したウサギを想像できていれば簡単なことなんだけど、ウサギがカメの後ろにいるところばかり考えていると、言葉の罠に陥ってしまう。
(見づらい時はクリックすると別画面で少し大きくなります)

同じように、願いごとが達成することを当然だと考えていないと、永遠に達成しないような錯覚に陥ってしまうでしょう。
だから、願いごとが叶った時点でどうなっているかを考えることは、ウサギがカメを追い越すことを上のグラフで確認したように、頭の中で「願いを叶えた自分」を見ることで、願いごとは達成可能だと自分自身に納得させるということだと思います。
カメを追い越していないウサギのように、できていない側…例えば自転車にまだ乗れない子は、「今できていない」し、「これからもできないんじゃないか」と思うし、いつできるか分からない。でも、そこで「いつ自転車に乗れるようになるの?私には無理なんじゃないの?」とわめいても乗れるようにはならないわけで、「乗れるようになるはず」と思って頑張りますよね。
引き寄せに関しても同じように「いつ」はその人次第だし、今できてないと思い悩むより「そのうちできるはず、できて当然」と考えることが願望達成への近道なのでしょう。
ここで不思議なのが「既に叶った状態に自分を置く」という言葉における「自分」の立ち位置です。この言葉においては、あなたが先程この画面でウサギとカメのグラフを見た時のように、走っている道全体を外から見てはいません。立っているのはあくまでも「既に叶った状態」の場所です。そこから、いわば過去の自分を眺めているのです。これはどういうことでしょうか。
また自転車に例えてみます。
自転車に乗る練習をしたとして、2~3回練習をすればすぐ乗れる人もいるし、夏休み中おうちの人と転びながら練習を頑張った人もいるかもしれません。ある人は中学生になったら自然と乗れるのかもしれないし、もしかしたら、その人に合う練習方法が見つかって、10分で乗れるようになるかもしれません。
いつ、どんな方法で乗れるようになるかは、人それぞれなんだと思います。
そういえば私が小さい頃、「自転車は転ばないと乗れるようにはならないんだから、勇気を出してペダルを踏んでごらん」と良く親や友達から言われていました。でも、私は転んだら痛いから怖くて、転びたくなくて、うまくペダルを踏めませんでした。それで、「転ばなくても上手に乗れるようになれば問題ない」と考えることにしたんです。しばらく自転車に乗る練習はしませんでした。
その後、小学校の高学年になって練習を再開し、やっと自転車に乗れるようになりました。大人用の自転車で練習したのですが、練習中一度も転びませんでした。そういえば転んで怪我をしたのは高校になって自転車通学を始めてからです。
( *´艸`)ヾ
幼稚園や小学校で、子供を指導する際に
「鉄棒ができるようになるために、登り棒が登れるようにしておきましょう」
「跳び箱が上手に跳べるように、ケンケンパで遊ばせておくといいですよ」
「箸を正しく持てるようにしましょう。鉛筆や習字の筆の持ち方につながります」
など、一見関係のなさそうなことをしっかり経験しておくことが「できる」につながると言われています。
こういった「これを経験しておくといいよ」というものは、ググって出てくればいいですが、まだ知られてないものや、まだ研究者にも気付かれていない事柄もたくさんあるでしょう。世に出ていないものを知るのはさすがに難しいですよね。
でも、全て「勘」が気付いて教えてくれるとしたらどうでしょう。何となくやりたくなったことが、自分ができるようになりたいことの近道になる…つまり、カメを追い越して後ろを振り返っているウサギのように、「願いが叶う自分を自覚する」ことは大切だけれど、そこに至る道は千差万別で、一番の近道は勘が教えてくれるので考える必要はない。グラフの線がどこでどう曲がっているか一生懸命辿らなくてもいいよ、ウサギがどこでどうやってカメを追い抜いたかは分からなくても大丈夫だよ、ということ。自分は願いが叶うことだけを信じて未来で待っていれば良い…それが「既に叶った状態に自分を置く」ではないかと思うのです。
もしかして、ある日、急にスキップがしたくなったら、それが願いを叶える最善の方法なのかもしれません。
次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(4)「いい気分」とは
「昔話『ウサギとカメ』では、どう頑張ってもウサギはカメに追いつけない」という妙な説明のお話があります。聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
ウサギは、寝ている間にカメに追い越され、慌てて追いかけます。ウサギがカメのいたところまで辿り着くと、カメは少し先を行っています。ウサギがそこに着いた時には、カメはやっぱりほんの少し先を行っている。
カメは一瞬たりとも止まらず一生懸命歩いているので、ウサギがカメの所に行くとカメは必ずその少し先に動いていて、ウサギは永遠にカメに追いつけませんでした。おしまい。
…おかしいですよね?
グラフにするとすぐ分かるんだけど、これは「ウサギがカメに追いつく時刻」までのお話です。
ウサギはその時刻を過ぎれば、確実にカメを追い越す。「ウサギはカメより速いから追い越すはずだ」と、追い越したウサギを想像できていれば簡単なことなんだけど、ウサギがカメの後ろにいるところばかり考えていると、言葉の罠に陥ってしまう。
(見づらい時はクリックすると別画面で少し大きくなります)
同じように、願いごとが達成することを当然だと考えていないと、永遠に達成しないような錯覚に陥ってしまうでしょう。
だから、願いごとが叶った時点でどうなっているかを考えることは、ウサギがカメを追い越すことを上のグラフで確認したように、頭の中で「願いを叶えた自分」を見ることで、願いごとは達成可能だと自分自身に納得させるということだと思います。
カメを追い越していないウサギのように、できていない側…例えば自転車にまだ乗れない子は、「今できていない」し、「これからもできないんじゃないか」と思うし、いつできるか分からない。でも、そこで「いつ自転車に乗れるようになるの?私には無理なんじゃないの?」とわめいても乗れるようにはならないわけで、「乗れるようになるはず」と思って頑張りますよね。
引き寄せに関しても同じように「いつ」はその人次第だし、今できてないと思い悩むより「そのうちできるはず、できて当然」と考えることが願望達成への近道なのでしょう。
ここで不思議なのが「既に叶った状態に自分を置く」という言葉における「自分」の立ち位置です。この言葉においては、あなたが先程この画面でウサギとカメのグラフを見た時のように、走っている道全体を外から見てはいません。立っているのはあくまでも「既に叶った状態」の場所です。そこから、いわば過去の自分を眺めているのです。これはどういうことでしょうか。
また自転車に例えてみます。
自転車に乗る練習をしたとして、2~3回練習をすればすぐ乗れる人もいるし、夏休み中おうちの人と転びながら練習を頑張った人もいるかもしれません。ある人は中学生になったら自然と乗れるのかもしれないし、もしかしたら、その人に合う練習方法が見つかって、10分で乗れるようになるかもしれません。
いつ、どんな方法で乗れるようになるかは、人それぞれなんだと思います。
そういえば私が小さい頃、「自転車は転ばないと乗れるようにはならないんだから、勇気を出してペダルを踏んでごらん」と良く親や友達から言われていました。でも、私は転んだら痛いから怖くて、転びたくなくて、うまくペダルを踏めませんでした。それで、「転ばなくても上手に乗れるようになれば問題ない」と考えることにしたんです。しばらく自転車に乗る練習はしませんでした。
その後、小学校の高学年になって練習を再開し、やっと自転車に乗れるようになりました。大人用の自転車で練習したのですが、練習中一度も転びませんでした。そういえば転んで怪我をしたのは高校になって自転車通学を始めてからです。
( *´艸`)ヾ
幼稚園や小学校で、子供を指導する際に
「鉄棒ができるようになるために、登り棒が登れるようにしておきましょう」
「跳び箱が上手に跳べるように、ケンケンパで遊ばせておくといいですよ」
「箸を正しく持てるようにしましょう。鉛筆や習字の筆の持ち方につながります」
など、一見関係のなさそうなことをしっかり経験しておくことが「できる」につながると言われています。
こういった「これを経験しておくといいよ」というものは、ググって出てくればいいですが、まだ知られてないものや、まだ研究者にも気付かれていない事柄もたくさんあるでしょう。世に出ていないものを知るのはさすがに難しいですよね。
でも、全て「勘」が気付いて教えてくれるとしたらどうでしょう。何となくやりたくなったことが、自分ができるようになりたいことの近道になる…つまり、カメを追い越して後ろを振り返っているウサギのように、「願いが叶う自分を自覚する」ことは大切だけれど、そこに至る道は千差万別で、一番の近道は勘が教えてくれるので考える必要はない。グラフの線がどこでどう曲がっているか一生懸命辿らなくてもいいよ、ウサギがどこでどうやってカメを追い抜いたかは分からなくても大丈夫だよ、ということ。自分は願いが叶うことだけを信じて未来で待っていれば良い…それが「既に叶った状態に自分を置く」ではないかと思うのです。
もしかして、ある日、急にスキップがしたくなったら、それが願いを叶える最善の方法なのかもしれません。
次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(4)「いい気分」とは
<私の思う「願いごとの叶え方」>
2.願いごとはいったん置いといて、いい気分になることだけを選んでする。
よく「引き寄せの法則」などで言われている「願望を手放す」「執着しない」というのは、実際にやってみるととても難しいと言われます。また、願いが叶わない時に「願望を手放せていないからだ」とか「執着してるからだ」とか言われます。
ただ、一生懸命頑張ってるのに叶わない人から見ればそれって詭弁ですよね。じゃあどうやれば手放せるんだ、って思うし、執着してたにもかかわらず叶えた人もいるじゃん、と思っちゃう。
「願いは既に叶ったものとして過ごす」というのもありますね。「願いに執着する」とどう違うのか?それぞれの人を思い浮かべた時、表情が違うなあと思いました。前者は充足感に満ちあふれていて、自信がある表情。かたや後者はすごく真剣で悲壮な感じ、とてもいい気分には見えない。やはり、願いについて考えた時にいい気分になるかどうかの違いではないかなと思うのです。
だから、願いがすごく切実で、どうしても考えた時にいい気分にならないようなら、それは「執着している」状態だ、と判断すればいいのではないでしょうか。このままでは、勘が鈍ってしまう。いい事が自分の周りに現れても気付けない。マズイ!と。
そして、何でもいいから別のいい気分になることをひたすら挟み込んで嫌な気分は忘れる。そうやって自分の勘を冴えさせて、いい事にどんどん気付けるように準備する。それが「手放す」という意味なのではと考えました。
この時、願いについて考えてもずっといい気分が続くなら、考え続けていていいんだと思います。それは傍から見たら(自分から見ても)執着しているように見えるかもしれないので、「執着してたのに叶った」という状態も発生するのでしょう。
また、願いについて「こうしたらいいかも」という考えが浮かんだ時、いい気分になるかどうかも判断材料になると思います。それをしたくてワクワクするなら願いが叶う方に近付いていると思いますが、どうも気が乗らないとか、迷うということもあるかと思います。「気が乗らない」ということは、勘が「違うそれじゃない」と言ってるってことだと思います。そういう時はしない方が無難です。
いい気分になるかどうかが、自分の勘が冴えているかどうかを知るセンサーになるんですね。これについては引き寄せ関係のいろんな人が言っていますね。いい気分の時は勘が働いている(から信用できる)けど、そうでない時は勘が働かないから、何かアイデアを思いついても「いい気分じゃないなあ、ということは、これは勘じゃないので信用できないな」と判断しましょう、と。つまり、いい気分になることだけすればいいというわけです。
ただし、いい気分でなくても、いわゆるエゴの部分で努力してきちんと欲しいものを見つけだした人(これも「執着していたのに叶った人」ですが)もそれなりにいるだろうとは思います。シャッフルしたトランプから印をつけた一枚を選べといわれた時、勘がいい人は「この辺かな」とすぐに見つけるだろうし、勘が働かなくても一枚一枚調べていけば、時間がかかっても見つかる、そういう違い。まあ、結果よければ全て良しですね。(^○^)
何をしてもいい気分になれないこともあるでしょう。いい気分になる方法が「寝る」ことくらいしか思いつかない。そういう時は「体が疲れているんだから何もせずに寝なさい」というサインなのではないかなと思います。諦めて寝てしまいましょう。今のあなたには、疲労回復が一番の引き寄せの方法なんだと思います。疲れを取る方法、しっかり眠る方法については様々あるでしょうからお好きなやり方でどうぞ。
ただ、「眠れない」という人がよくいますが、それって結構運動不足のようですよ。家でもできる簡単な筋トレがよくテレビで紹介されてますし、しっかり体を動かして、入浴して、ゆっくり休んで下さいね。私は「さあ、今から夢のような生活を妄想するぞ~❤」って布団に入るので、寝るのも楽しくてしょうがないです。
(ё_ё)キャハ
3.いろんなことが何となくうまくいき、最終的には願いごとが叶う。
1と2で自分の勘が冴えるので、結果的にやることなすこといい方へいい方へと進んでいき、願いごとが次々に叶っていく、となるようです。ああ、これは厳密には「3」じゃないですね。方法としては2までで良かった。
(;^_^A
世間には引き寄せをするために(勘を働かせるために)いろいろな方法が出回っていますね。
・感謝する
・ありがとうと言う
・手帳に願いごとを書く
・瞑想や座禅をする
・お経を読む
・アファメーションする
・ホ・オホノポノ
…etc.
これらは全て「勘が働きやすい精神状態に近付く方法」と考えられるので、自分がいい気分になりやすい方法を選ぶといいと思います。
また、できるだけいつでもいい気分でいた方がいいので、「やりたいことを思い切りする」「おいしいものを食べる」「好きな人のことを考える」「イラストを描く」「気分が上がる音楽を聴く」など、いつでも使える「いい気分スイッチ」をオリジナルで考えておくと楽ですよ。
私のいい気分スイッチは「にっこりする」です。以前沖縄に旅行した時、海辺のパラソルの下に寝転がって、太陽の光を浴びてぼ~っと過ごしたのがとてもいい気分だったので、それを思い出すようにしています。はじめは一生懸命海の様子とか空を見上げているところとか思い浮かべていい気分になっていたのですが、今は口角をちょっと上げるだけでその時のことを思い出すので、街を歩いていて自分がテンション下がってるかもと思った時、ちょっとニッとするだけで、さっと思い出してとってもいい気分になります。
「ありがとう」をスイッチにしてもいいし、自分が身につけている物やちょっとした行動と結びつけてもいいし、写真などを眺めて、願望が叶った自分の幸せな様子を思い浮かべることにしてもいいのではないかなと思います。うまくスイッチが入ると、すぐゾロ目のナンバープレートを見つけたり、信号が青になったりして「よしよし」とまたニンマリしてしまいます。
あとは願いが叶うのを待つだけですね。楽しみ楽しみ

次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(3)「既に叶った状態に自分を置く」とは
2.願いごとはいったん置いといて、いい気分になることだけを選んでする。

ただ、一生懸命頑張ってるのに叶わない人から見ればそれって詭弁ですよね。じゃあどうやれば手放せるんだ、って思うし、執着してたにもかかわらず叶えた人もいるじゃん、と思っちゃう。
「願いは既に叶ったものとして過ごす」というのもありますね。「願いに執着する」とどう違うのか?それぞれの人を思い浮かべた時、表情が違うなあと思いました。前者は充足感に満ちあふれていて、自信がある表情。かたや後者はすごく真剣で悲壮な感じ、とてもいい気分には見えない。やはり、願いについて考えた時にいい気分になるかどうかの違いではないかなと思うのです。
だから、願いがすごく切実で、どうしても考えた時にいい気分にならないようなら、それは「執着している」状態だ、と判断すればいいのではないでしょうか。このままでは、勘が鈍ってしまう。いい事が自分の周りに現れても気付けない。マズイ!と。
そして、何でもいいから別のいい気分になることをひたすら挟み込んで嫌な気分は忘れる。そうやって自分の勘を冴えさせて、いい事にどんどん気付けるように準備する。それが「手放す」という意味なのではと考えました。
この時、願いについて考えてもずっといい気分が続くなら、考え続けていていいんだと思います。それは傍から見たら(自分から見ても)執着しているように見えるかもしれないので、「執着してたのに叶った」という状態も発生するのでしょう。
また、願いについて「こうしたらいいかも」という考えが浮かんだ時、いい気分になるかどうかも判断材料になると思います。それをしたくてワクワクするなら願いが叶う方に近付いていると思いますが、どうも気が乗らないとか、迷うということもあるかと思います。「気が乗らない」ということは、勘が「違うそれじゃない」と言ってるってことだと思います。そういう時はしない方が無難です。
いい気分になるかどうかが、自分の勘が冴えているかどうかを知るセンサーになるんですね。これについては引き寄せ関係のいろんな人が言っていますね。いい気分の時は勘が働いている(から信用できる)けど、そうでない時は勘が働かないから、何かアイデアを思いついても「いい気分じゃないなあ、ということは、これは勘じゃないので信用できないな」と判断しましょう、と。つまり、いい気分になることだけすればいいというわけです。
ただし、いい気分でなくても、いわゆるエゴの部分で努力してきちんと欲しいものを見つけだした人(これも「執着していたのに叶った人」ですが)もそれなりにいるだろうとは思います。シャッフルしたトランプから印をつけた一枚を選べといわれた時、勘がいい人は「この辺かな」とすぐに見つけるだろうし、勘が働かなくても一枚一枚調べていけば、時間がかかっても見つかる、そういう違い。まあ、結果よければ全て良しですね。(^○^)
何をしてもいい気分になれないこともあるでしょう。いい気分になる方法が「寝る」ことくらいしか思いつかない。そういう時は「体が疲れているんだから何もせずに寝なさい」というサインなのではないかなと思います。諦めて寝てしまいましょう。今のあなたには、疲労回復が一番の引き寄せの方法なんだと思います。疲れを取る方法、しっかり眠る方法については様々あるでしょうからお好きなやり方でどうぞ。
ただ、「眠れない」という人がよくいますが、それって結構運動不足のようですよ。家でもできる簡単な筋トレがよくテレビで紹介されてますし、しっかり体を動かして、入浴して、ゆっくり休んで下さいね。私は「さあ、今から夢のような生活を妄想するぞ~❤」って布団に入るので、寝るのも楽しくてしょうがないです。
(ё_ё)キャハ
3.いろんなことが何となくうまくいき、最終的には願いごとが叶う。
1と2で自分の勘が冴えるので、結果的にやることなすこといい方へいい方へと進んでいき、願いごとが次々に叶っていく、となるようです。ああ、これは厳密には「3」じゃないですね。方法としては2までで良かった。
(;^_^A
世間には引き寄せをするために(勘を働かせるために)いろいろな方法が出回っていますね。
・感謝する
・ありがとうと言う
・手帳に願いごとを書く
・瞑想や座禅をする
・お経を読む
・アファメーションする
・ホ・オホノポノ
…etc.
これらは全て「勘が働きやすい精神状態に近付く方法」と考えられるので、自分がいい気分になりやすい方法を選ぶといいと思います。
また、できるだけいつでもいい気分でいた方がいいので、「やりたいことを思い切りする」「おいしいものを食べる」「好きな人のことを考える」「イラストを描く」「気分が上がる音楽を聴く」など、いつでも使える「いい気分スイッチ」をオリジナルで考えておくと楽ですよ。
私のいい気分スイッチは「にっこりする」です。以前沖縄に旅行した時、海辺のパラソルの下に寝転がって、太陽の光を浴びてぼ~っと過ごしたのがとてもいい気分だったので、それを思い出すようにしています。はじめは一生懸命海の様子とか空を見上げているところとか思い浮かべていい気分になっていたのですが、今は口角をちょっと上げるだけでその時のことを思い出すので、街を歩いていて自分がテンション下がってるかもと思った時、ちょっとニッとするだけで、さっと思い出してとってもいい気分になります。
「ありがとう」をスイッチにしてもいいし、自分が身につけている物やちょっとした行動と結びつけてもいいし、写真などを眺めて、願望が叶った自分の幸せな様子を思い浮かべることにしてもいいのではないかなと思います。うまくスイッチが入ると、すぐゾロ目のナンバープレートを見つけたり、信号が青になったりして「よしよし」とまたニンマリしてしまいます。
あとは願いが叶うのを待つだけですね。楽しみ楽しみ
次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(3)「既に叶った状態に自分を置く」とは
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1「引き寄せの法則」を私なりに解釈してみた(1)「引き寄せの法則」は実は「引き寄せ」てはいない
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