世間でよく言われる【引き寄せ】について
私なりに解釈してみたことを書きました。
皆さんがますます幸せになりますように。
願いごとを叶えるのに「引き寄せ」という言葉をよく使うけど、ちょっと違うと思うので、願いごとが叶うまでの私なりの解釈を書いてみます。
本などに良く書かれている一般的な引き寄せの仕方は
1.願いごとが既に叶ったと思う。感謝する。
(過去形でノートに書くとか、何度も口に出していうとか)
2.願望を手放す。執着しない。
(…と言われているけれど、これが難しいという人が多い)
3.いつの間にか叶っている。
こんな感じですね。
私も実際にやってみましたけど、やればやるほどなんか違う、少しだけズレてると思うようになりました。だって、「既に叶ったと考える」と言われても、叶ってないのにそう思うって所でまず無理があるし、実際にポンとお金が出てくるわけでもないし。願いが叶って欲しいのにそれを手放すって意味不明だし。
ただ、似たような経験は昔から良くあるんですよ。
一番良くやっていたのは、数学の問題で解法を見つける時。特に、図形問題で補助線をどこに引いたらいいか、なんて時。
何かこねくり回して全然分かんなくて、もういいや!と放り投げて寝てしまう。翌日、ふとその問題を見てみると、「あれ?もしかしてここに補助線を引いたら一発じゃね?」となって、あれよあれよという間に解けてしまう、なんて経験。
その他にも、物がなくなって一生懸命探すけど出てこないで、諦めて外出しようと準備にかかると、羽織ったコートのポケットから出てきたりとか。
「引き寄せた」というより、「見つかった」「見せられた」に近い感覚。
で、私なりの解釈をしてみました。「既に叶った」とか「手放す」とか思うのがちょっと違うのではないか、と。
<私の思う「願いごとの叶え方」>
<私の思う「願いごとの叶え方」>
1.願いごとが叶った後の生活を具体的に思い描いて、いい気分に浸る。
一般に引き寄せ関係の本などに書かれている「叶った後の自分になる」とか、「既に叶ったものとして振る舞う」というのは、やっていて「でもまだお金ないし」など、自分自身を納得させられずに悩むことがあると思います。
それだといつまでたってもいい気分にならないので、ここは完全に「もし願いが叶ったら私はどんな風になっているかなあ」という「想像」「妄想」でOKだと考えました。大事なのはいい気分に浸ることですから。
ただ、私達は、例えば「お金がたくさんあったら幸せになれる」「彼氏ができたら幸せになれる」と思うから、お金や彼氏を願うのかもしれません。でも、その人が願っているお金や彼氏が本当に「幸せ=いい気分」を生むのでなければ、その願いについて考えても、当然いい気分にはならない。つまり、勘は働きにくくなる。それでは叶いづらいのではという気がします。
借金を返すのにお金が必要な場合、お金が手に入ってもそれは他の人の手に渡るだけで、自分自身はそのことで「幸せだなあ」とは思えないでしょう。また、よりを戻したい彼氏がいたとして、その彼が浮気をするかもと疑っていれば、よりを戻しても疑う気持ちは残るわけで、それではいい気分にはなれないですよね。いい気分でないと勘は働かないので、いくら手の届くところに欲しいものがあっても、おそらく勘が鈍ってくじを引き間違えるだろうと思うのです。
大事なのは「願い」ではなくて「願いの先」のようです。願いを叶えることによって最終的にどうなったら自分はいい気分なのか。そこを自分が正しく把握しておくと、いい気分になって勘が働きやすくなるだけでなく、勘が願いを飛び越えてその先への近道を発見してくれることもあるみたいです。
だから、「○万円手に入ったらローンの返済をしてもお金が余るから、目をつけてたあのバッグを買おう」とか、「彼とつきあえるようになったら手を繋いでデートするんだぁ」とか、願いごとが叶った後のことをできるだけ具体的に詳しく考えて、自分がそのことでいい気分の人生を送れるようになるとしっかり実感することが大事なんですね。
そうすると、いわゆる「将来の夢を語る」状態になるので、自然とワクワクしたいい気分になる。いい気分になれば勘が働き始める、ということかなと思います。
つまり、良く「既に叶った状態に自分を置く」ということの意味は、1つには、自分が本当に叶えたい、最終的な「自分がいい気分で幸せに過ごしている毎日の生活」を、できるだけ具体的に思い描くことだと思うのです。(2つめの意味はもう少し後でお話しします)
そう考えると、「願いごとを叶えるため」に勘が働くのではなく、「幸せになるため」に勘は働いてくれているのかなあという気がしてきました。
ちょっと長くなったので後半は明日。

次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(2)私の考える「引き寄せ」のしかた(後編)
本などに良く書かれている一般的な引き寄せの仕方は
1.願いごとが既に叶ったと思う。感謝する。
(過去形でノートに書くとか、何度も口に出していうとか)
2.願望を手放す。執着しない。
(…と言われているけれど、これが難しいという人が多い)
3.いつの間にか叶っている。
こんな感じですね。
私も実際にやってみましたけど、やればやるほどなんか違う、少しだけズレてると思うようになりました。だって、「既に叶ったと考える」と言われても、叶ってないのにそう思うって所でまず無理があるし、実際にポンとお金が出てくるわけでもないし。願いが叶って欲しいのにそれを手放すって意味不明だし。
ただ、似たような経験は昔から良くあるんですよ。
一番良くやっていたのは、数学の問題で解法を見つける時。特に、図形問題で補助線をどこに引いたらいいか、なんて時。
何かこねくり回して全然分かんなくて、もういいや!と放り投げて寝てしまう。翌日、ふとその問題を見てみると、「あれ?もしかしてここに補助線を引いたら一発じゃね?」となって、あれよあれよという間に解けてしまう、なんて経験。
その他にも、物がなくなって一生懸命探すけど出てこないで、諦めて外出しようと準備にかかると、羽織ったコートのポケットから出てきたりとか。
「引き寄せた」というより、「見つかった」「見せられた」に近い感覚。
で、私なりの解釈をしてみました。「既に叶った」とか「手放す」とか思うのがちょっと違うのではないか、と。
<私の思う「願いごとの叶え方」>
1.願いごとが叶った後の生活を具体的に思い描いて、
いい気分に浸る。
2.願いごとはいったん置いといて、
いい気分になることだけを選んでする。
気が乗らないことはしない。
嫌な気分になる時は、別のいい気分になることを
ひたすら挟み込んで忘れる。
3.いろんなことが何となくうまくいき、
最終的には願いごとが叶う。
次から詳しく説明していきます。いい気分に浸る。
2.願いごとはいったん置いといて、
いい気分になることだけを選んでする。
気が乗らないことはしない。
嫌な気分になる時は、別のいい気分になることを
ひたすら挟み込んで忘れる。
3.いろんなことが何となくうまくいき、
最終的には願いごとが叶う。
<私の思う「願いごとの叶え方」>
1.願いごとが叶った後の生活を具体的に思い描いて、いい気分に浸る。
一般に引き寄せ関係の本などに書かれている「叶った後の自分になる」とか、「既に叶ったものとして振る舞う」というのは、やっていて「でもまだお金ないし」など、自分自身を納得させられずに悩むことがあると思います。
それだといつまでたってもいい気分にならないので、ここは完全に「もし願いが叶ったら私はどんな風になっているかなあ」という「想像」「妄想」でOKだと考えました。大事なのはいい気分に浸ることですから。
ただ、私達は、例えば「お金がたくさんあったら幸せになれる」「彼氏ができたら幸せになれる」と思うから、お金や彼氏を願うのかもしれません。でも、その人が願っているお金や彼氏が本当に「幸せ=いい気分」を生むのでなければ、その願いについて考えても、当然いい気分にはならない。つまり、勘は働きにくくなる。それでは叶いづらいのではという気がします。
借金を返すのにお金が必要な場合、お金が手に入ってもそれは他の人の手に渡るだけで、自分自身はそのことで「幸せだなあ」とは思えないでしょう。また、よりを戻したい彼氏がいたとして、その彼が浮気をするかもと疑っていれば、よりを戻しても疑う気持ちは残るわけで、それではいい気分にはなれないですよね。いい気分でないと勘は働かないので、いくら手の届くところに欲しいものがあっても、おそらく勘が鈍ってくじを引き間違えるだろうと思うのです。
大事なのは「願い」ではなくて「願いの先」のようです。願いを叶えることによって最終的にどうなったら自分はいい気分なのか。そこを自分が正しく把握しておくと、いい気分になって勘が働きやすくなるだけでなく、勘が願いを飛び越えてその先への近道を発見してくれることもあるみたいです。
だから、「○万円手に入ったらローンの返済をしてもお金が余るから、目をつけてたあのバッグを買おう」とか、「彼とつきあえるようになったら手を繋いでデートするんだぁ」とか、願いごとが叶った後のことをできるだけ具体的に詳しく考えて、自分がそのことでいい気分の人生を送れるようになるとしっかり実感することが大事なんですね。
そうすると、いわゆる「将来の夢を語る」状態になるので、自然とワクワクしたいい気分になる。いい気分になれば勘が働き始める、ということかなと思います。
つまり、良く「既に叶った状態に自分を置く」ということの意味は、1つには、自分が本当に叶えたい、最終的な「自分がいい気分で幸せに過ごしている毎日の生活」を、できるだけ具体的に思い描くことだと思うのです。(2つめの意味はもう少し後でお話しします)
そう考えると、「願いごとを叶えるため」に勘が働くのではなく、「幸せになるため」に勘は働いてくれているのかなあという気がしてきました。
ちょっと長くなったので後半は明日。
次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(2)私の考える「引き寄せ」のしかた(後編)
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1「引き寄せの法則」を私なりに解釈してみた(1)「引き寄せの法則」は実は「引き寄せ」てはいない
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