世間でよく言われる【引き寄せ】について
私なりに解釈してみたことを書きました。
皆さんがますます幸せになりますように。
以前お話しした「既に叶った状態に自分を置く」という言葉の、もう1つの意味を考えてみたいと思います。これは、「願いが叶う自分を自覚する」ということを差していると思います。例を挙げてみます。
「昔話『ウサギとカメ』では、どう頑張ってもウサギはカメに追いつけない」という妙な説明のお話があります。聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
ウサギは、寝ている間にカメに追い越され、慌てて追いかけます。ウサギがカメのいたところまで辿り着くと、カメは少し先を行っています。ウサギがそこに着いた時には、カメはやっぱりほんの少し先を行っている。
カメは一瞬たりとも止まらず一生懸命歩いているので、ウサギがカメの所に行くとカメは必ずその少し先に動いていて、ウサギは永遠にカメに追いつけませんでした。おしまい。
…おかしいですよね?
グラフにするとすぐ分かるんだけど、これは「ウサギがカメに追いつく時刻」までのお話です。
ウサギはその時刻を過ぎれば、確実にカメを追い越す。「ウサギはカメより速いから追い越すはずだ」と、追い越したウサギを想像できていれば簡単なことなんだけど、ウサギがカメの後ろにいるところばかり考えていると、言葉の罠に陥ってしまう。
(見づらい時はクリックすると別画面で少し大きくなります)

同じように、願いごとが達成することを当然だと考えていないと、永遠に達成しないような錯覚に陥ってしまうでしょう。
だから、願いごとが叶った時点でどうなっているかを考えることは、ウサギがカメを追い越すことを上のグラフで確認したように、頭の中で「願いを叶えた自分」を見ることで、願いごとは達成可能だと自分自身に納得させるということだと思います。
カメを追い越していないウサギのように、できていない側…例えば自転車にまだ乗れない子は、「今できていない」し、「これからもできないんじゃないか」と思うし、いつできるか分からない。でも、そこで「いつ自転車に乗れるようになるの?私には無理なんじゃないの?」とわめいても乗れるようにはならないわけで、「乗れるようになるはず」と思って頑張りますよね。
引き寄せに関しても同じように「いつ」はその人次第だし、今できてないと思い悩むより「そのうちできるはず、できて当然」と考えることが願望達成への近道なのでしょう。
ここで不思議なのが「既に叶った状態に自分を置く」という言葉における「自分」の立ち位置です。この言葉においては、あなたが先程この画面でウサギとカメのグラフを見た時のように、走っている道全体を外から見てはいません。立っているのはあくまでも「既に叶った状態」の場所です。そこから、いわば過去の自分を眺めているのです。これはどういうことでしょうか。
また自転車に例えてみます。
自転車に乗る練習をしたとして、2~3回練習をすればすぐ乗れる人もいるし、夏休み中おうちの人と転びながら練習を頑張った人もいるかもしれません。ある人は中学生になったら自然と乗れるのかもしれないし、もしかしたら、その人に合う練習方法が見つかって、10分で乗れるようになるかもしれません。
いつ、どんな方法で乗れるようになるかは、人それぞれなんだと思います。
そういえば私が小さい頃、「自転車は転ばないと乗れるようにはならないんだから、勇気を出してペダルを踏んでごらん」と良く親や友達から言われていました。でも、私は転んだら痛いから怖くて、転びたくなくて、うまくペダルを踏めませんでした。それで、「転ばなくても上手に乗れるようになれば問題ない」と考えることにしたんです。しばらく自転車に乗る練習はしませんでした。
その後、小学校の高学年になって練習を再開し、やっと自転車に乗れるようになりました。大人用の自転車で練習したのですが、練習中一度も転びませんでした。そういえば転んで怪我をしたのは高校になって自転車通学を始めてからです。
( *´艸`)ヾ
幼稚園や小学校で、子供を指導する際に
「鉄棒ができるようになるために、登り棒が登れるようにしておきましょう」
「跳び箱が上手に跳べるように、ケンケンパで遊ばせておくといいですよ」
「箸を正しく持てるようにしましょう。鉛筆や習字の筆の持ち方につながります」
など、一見関係のなさそうなことをしっかり経験しておくことが「できる」につながると言われています。
こういった「これを経験しておくといいよ」というものは、ググって出てくればいいですが、まだ知られてないものや、まだ研究者にも気付かれていない事柄もたくさんあるでしょう。世に出ていないものを知るのはさすがに難しいですよね。
でも、全て「勘」が気付いて教えてくれるとしたらどうでしょう。何となくやりたくなったことが、自分ができるようになりたいことの近道になる…つまり、カメを追い越して後ろを振り返っているウサギのように、「願いが叶う自分を自覚する」ことは大切だけれど、そこに至る道は千差万別で、一番の近道は勘が教えてくれるので考える必要はない。グラフの線がどこでどう曲がっているか一生懸命辿らなくてもいいよ、ウサギがどこでどうやってカメを追い抜いたかは分からなくても大丈夫だよ、ということ。自分は願いが叶うことだけを信じて未来で待っていれば良い…それが「既に叶った状態に自分を置く」ではないかと思うのです。
もしかして、ある日、急にスキップがしたくなったら、それが願いを叶える最善の方法なのかもしれません。
次の記事:3 願いを叶える「引き寄せ」実践編(4)「いい気分」とは
「昔話『ウサギとカメ』では、どう頑張ってもウサギはカメに追いつけない」という妙な説明のお話があります。聞いたことがある人もいるのではないでしょうか。
ウサギは、寝ている間にカメに追い越され、慌てて追いかけます。ウサギがカメのいたところまで辿り着くと、カメは少し先を行っています。ウサギがそこに着いた時には、カメはやっぱりほんの少し先を行っている。
カメは一瞬たりとも止まらず一生懸命歩いているので、ウサギがカメの所に行くとカメは必ずその少し先に動いていて、ウサギは永遠にカメに追いつけませんでした。おしまい。
…おかしいですよね?
グラフにするとすぐ分かるんだけど、これは「ウサギがカメに追いつく時刻」までのお話です。
ウサギはその時刻を過ぎれば、確実にカメを追い越す。「ウサギはカメより速いから追い越すはずだ」と、追い越したウサギを想像できていれば簡単なことなんだけど、ウサギがカメの後ろにいるところばかり考えていると、言葉の罠に陥ってしまう。
(見づらい時はクリックすると別画面で少し大きくなります)
同じように、願いごとが達成することを当然だと考えていないと、永遠に達成しないような錯覚に陥ってしまうでしょう。
だから、願いごとが叶った時点でどうなっているかを考えることは、ウサギがカメを追い越すことを上のグラフで確認したように、頭の中で「願いを叶えた自分」を見ることで、願いごとは達成可能だと自分自身に納得させるということだと思います。
カメを追い越していないウサギのように、できていない側…例えば自転車にまだ乗れない子は、「今できていない」し、「これからもできないんじゃないか」と思うし、いつできるか分からない。でも、そこで「いつ自転車に乗れるようになるの?私には無理なんじゃないの?」とわめいても乗れるようにはならないわけで、「乗れるようになるはず」と思って頑張りますよね。
引き寄せに関しても同じように「いつ」はその人次第だし、今できてないと思い悩むより「そのうちできるはず、できて当然」と考えることが願望達成への近道なのでしょう。
ここで不思議なのが「既に叶った状態に自分を置く」という言葉における「自分」の立ち位置です。この言葉においては、あなたが先程この画面でウサギとカメのグラフを見た時のように、走っている道全体を外から見てはいません。立っているのはあくまでも「既に叶った状態」の場所です。そこから、いわば過去の自分を眺めているのです。これはどういうことでしょうか。
また自転車に例えてみます。
自転車に乗る練習をしたとして、2~3回練習をすればすぐ乗れる人もいるし、夏休み中おうちの人と転びながら練習を頑張った人もいるかもしれません。ある人は中学生になったら自然と乗れるのかもしれないし、もしかしたら、その人に合う練習方法が見つかって、10分で乗れるようになるかもしれません。
いつ、どんな方法で乗れるようになるかは、人それぞれなんだと思います。
そういえば私が小さい頃、「自転車は転ばないと乗れるようにはならないんだから、勇気を出してペダルを踏んでごらん」と良く親や友達から言われていました。でも、私は転んだら痛いから怖くて、転びたくなくて、うまくペダルを踏めませんでした。それで、「転ばなくても上手に乗れるようになれば問題ない」と考えることにしたんです。しばらく自転車に乗る練習はしませんでした。
その後、小学校の高学年になって練習を再開し、やっと自転車に乗れるようになりました。大人用の自転車で練習したのですが、練習中一度も転びませんでした。そういえば転んで怪我をしたのは高校になって自転車通学を始めてからです。
( *´艸`)ヾ
幼稚園や小学校で、子供を指導する際に
「鉄棒ができるようになるために、登り棒が登れるようにしておきましょう」
「跳び箱が上手に跳べるように、ケンケンパで遊ばせておくといいですよ」
「箸を正しく持てるようにしましょう。鉛筆や習字の筆の持ち方につながります」
など、一見関係のなさそうなことをしっかり経験しておくことが「できる」につながると言われています。
こういった「これを経験しておくといいよ」というものは、ググって出てくればいいですが、まだ知られてないものや、まだ研究者にも気付かれていない事柄もたくさんあるでしょう。世に出ていないものを知るのはさすがに難しいですよね。
でも、全て「勘」が気付いて教えてくれるとしたらどうでしょう。何となくやりたくなったことが、自分ができるようになりたいことの近道になる…つまり、カメを追い越して後ろを振り返っているウサギのように、「願いが叶う自分を自覚する」ことは大切だけれど、そこに至る道は千差万別で、一番の近道は勘が教えてくれるので考える必要はない。グラフの線がどこでどう曲がっているか一生懸命辿らなくてもいいよ、ウサギがどこでどうやってカメを追い抜いたかは分からなくても大丈夫だよ、ということ。自分は願いが叶うことだけを信じて未来で待っていれば良い…それが「既に叶った状態に自分を置く」ではないかと思うのです。
もしかして、ある日、急にスキップがしたくなったら、それが願いを叶える最善の方法なのかもしれません。
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